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善と悪について考え直す | 道徳とは何か

善悪の基準って一体どこからくるのだろう?

善悪の基準に従って、人の行動は変わってくるし、文化も変わるし、法律や政治も国ごとで異なる。

分かり合えない、と思う人も、その人の善悪や道徳の基準を理解すると、行動が理解できるようになるのかもしれないし、何を善におくかで自分の人生においても異なる世界が見えるかもしれない。

ニーチェ著の道徳の系譜学(原題:zur-genealogie-der-moral)では、ユダヤ人の道徳的な価値観を引き継いだキリスト教的な価値観の起源を描いている。様々な価値観を知ることで、世界の見方は全く変わるだろう。

善と悪の起源

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本書によれば、善は自己肯定的な価値観として生まれたという。つまり、自分の力を発揮し、自ら行動を起こすことで幸福になれる人々を「良い者」と考えた。

「良い」の起源とされている「高貴」といった言葉は元々貴族によって作られた。

例えば古代ギリシアや古代ローマ帝国などの都市国家では、戦において命を賭けて戦う戦士が政治的、経済的に強い力を持ち、自分たちを「良い者」と捉えた。すなわち歴史的な道徳観念では、良いとは自己肯定であり、強さであり、気高さであった。

そして勇気のない「悪しき者」は、命をかけずに労働し、貴族の奴隷となることで貴族達を養った。彼らは常に抑圧される運命にあった。

奴隷的な道徳

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貴族階級は能動的に行動し、自分の力を発揮して幸福になることを「良い」としたが、奴隷の立場からすれば、貴族のような積極的な生を望むことは難しかった。そこで、奴隷達は、貴族の考える「良い」と「悪い」の価値の逆転を試みた。

ここでの新たな道徳を生み出した代表的な民族として、ニーチェはユダヤ人をあげている。

主人達は奴隷を抑圧し、服従させ、厳しい労働を強いる者達であり、主人達は自分たちの行動を「良い」としているが、奴隷視点に立てば、主人達の行動は自分たちの生を損ねている「悪」である。

主人達は悪を体現しているのだから、奴隷達はその悪の反対の存在、すなわち善だとした。

奴隷達の道徳では、善とは暴力を加えず、誰も傷つけない平和な存在であり、辛抱強く、謙虚で、公正な者とされた。

このような考え方が起きたことで、善と悪の概念が逆転した。それまで主人に抑圧されていた奴隷達は、主人の奴隷に対する抑圧的な行為を「悪」だとして、反撃できるようになった。

道徳に転換をもたらした「ルサンチマン」

貴族的な道徳と奴隷的な道徳の起源は逆であり、価値観も全く逆であることが見て取れる。貴族でいう能動的に行動し、自らの生を切り開く「良さ」は奴隷にとっては「悪」であり、その逆は奴隷にとっての「善」という構図を作り出した。

このような転換をもたらしたのが「ルサンチマン」という価値観であった。「ルサンチマン」とは弱者が強者に対して恨みや嫉妬心を抱くことだが、奴隷的な価値観そのものであった。

奴隷という苦しい立場で生きる人々にとって、なんとか生きるために作り出した価値観であり、幻想のうちで幸福を作り出す機能をルサンチマンは果たした。

この「ルサンチマン」という価値観が、貴族的な道徳を逆転させることとなる。

司牧者によるルサンチマンの方向転換

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弱者の価値観として、でてきたルサンチマンだが、さらに、司牧者はルサンチマンの方向を転換させた。強い者に恨みや嫉妬心を抱くのではなく、自己へと向け、自己の規律や克服のために活用し尽くすよう仕向けたのだ。

これまでは、奴隷という立場では貴族のように自由に欲望を満たすことはできなかった。しかし、自らの欲望を否定することはできる。欲望を抱かずに生きることができれば、欲望が満たされないことに対して苦しみを抱くことはないだろう。

自分の欲望をなくすためには、強い意志が必要であり、司牧者はこの強い意志を持てる者こそが「強い者」なのだとした。

司牧者は欲望の否定を否定的に見るのではなく、「欲望しないことを欲望する」という肯定的な視点を加えた。そして聖者という理想像を作り出した。これにより、禁欲的な生は否定的な生ではなく、高い価値のある生として変化していった。

本書によれば、司牧者が民の苦しい生活に新しい解釈と価値を加えたことで、宗教が成立したと述べている。

広まる価値観

Photo by Paweł Czerwiński on Unsplash

本書によれば、キリスト教はこのユダヤ人の司牧者の技術を引継ぎ、ここにキリスト教独自の教義を付け足していくことで、発展していった。キリスト教はユダヤ的な価値観を否定せず、受け継いで行ったと述べている。

キリスト教がローマ帝国で国教として定められた結果、キリスト教は西洋の文明社会に浸透するようになっていった。


現代においてもこうした考え方の対立はあるものだ。

理想を実現してる人に嫉妬し、自分の欲求を否定して自分はこれでいいんだと考えることがあるかもしれない。これは自分に嘘をつく「自己正当化」として悪と捉えるのか?それとも自分の欲求を抑えて謙虚に生きる善と捉えるのか?

道徳自体には善と悪はない。ただ与えられた道徳の価値観をそのまま鵜呑みにするのは危険なのだと、この本は考えさせてくれる。

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