スノーボードの歴史:スノーボードがもたらす意義と文化的変遷

スノーボードの原型とされる「スナーファー(Snurfer)」の特許図面(特許番号 US 3378274)-Public Domain

スノーボードの原型とされる「スナーファー(Snurfer)」の特許図面(特許番号 US 3378274)-Public Domain


スケートやサーフィンといった横乗り文化の影響をうけつつ誕生したスノーボードはカウンターカルチャーやニュースクールムーブメントの背景の元、独自の文化を築き上げてきた。新たなスポーツ、反骨精神、自己表現として様々な意味を帯びてきたスノーボードの変遷を歴史から紐解く。


スノーボード発祥の地はどこなのか

スノーボードの起源には諸説ある。18世紀には文化活動の一環として黒海沿岸リゼ県メシェ村で始まった「ペトラン・ボーディング」というものもある。(パタゴニアのショートフィルムでも隔絶されたスノーボード文化としてペトランボード文化を紹介している)。濱野(2013)によれば1920年代には雪の斜面を滑るボードが存在していたと言う報告もあり、アメリカのニュージャージー州でトム・シムスが1963年に作った「スキーボード」が最初のスノーボードとされることもある。

明確なスノーボードのルーツとはわからないものの、一般的にルーツとされているのは1965年に作られた「スナーファー」だ。このスノー(Snow)+サーフィン(surfing)の造語である道具は、雪上でのサーフィン体験を実現するために作られたとされる。


スノーボードの原型とされる「スナーファー(Snurfer)」の特許図面(特許番号 US 3378274)-Public Domain


サーフィン・スケートに影響を受けたスノーボード

スノーボードはサーフィンとスケートボードに大きく影響を受けてきた。雪山にサーフィンやスケートのスタイルを持ち込む試行錯誤の末に、スノーボードは独自のスタイルを作り上げてきた。

サーフィンは500年頃のポリネシアにルーツを持つ。1890年生まれで水泳大会で活躍していた生粋のハワイアンであるデューク・カハナモクが各地でサーフィン文化を各地に広め、1960年代にはサーフ・カルチャーがアメリカで大きく流行した。


1910年から1915年頃に撮影されたデューク・カハナモク - Public Domain


サーフカルチャーが流行している中、1970年代にはディミトリー・ミロビッチが雪上でサーフィンをするための用具として、冬用サーフボード「ウィンタースティック(Winterstick)」を完成させている。上述のスナーフィンも「スノー+サーフィン」が語源であることから、初期の雪上の横ノリはサーフィンからインスピレーションを受けていることがわかる。

スケートボードもサーフィンの影響を受けたスポーツであり、1950年代にキックスクーターが改良され、サーフィンができない代わりに陸上で楽しむものとされていた。その後スケートならではの動きを楽しむ過程の中でボウル、ストリート、パークなどが発展し、スケートならではのスタイルが確立されていく。こうしたスケートならではのカルチャーは雪山にも入り、スケートのボウルはハーフパイプへ、スケートのパークはスロープスタイルへとつながっていく。


スノーボードとカウンターカルチャー

スノーボードの発展において忘れてはならないのはスノーボードというスポーツが作り上げられていく上で新しい社会運動やカウンターカルチャーの影響だろう。濱野(2013)によれば1960年代には人種差別、反戦運動、環境保護といった社会的な不満や政治的な動きが広がる中で、レジャーの場においてもこうした不満の表現がなされるようになった。競争よりも楽しさや自己成長を重視し、個性や表現を大切にする新しいレジャームーブメントがその中で生まれたのだという。

当時の「スポーツ」といえば、1800年代後半にイギリスでルールや組織が確立された体操、水泳、テニス、サッカーなどの近代スポーツが主流だった。そこに登場したボードスポーツを含む新しいスポーツは、伝統的な「近代スポーツ」とは異なる意義を持ち始めた。ウィンタースポーツにおいても、スキーは「エリート主義的な伝統スポーツ」として位置付けられていたが、スノーボードはそうしたスキー文化に対するアンチテーゼとして登場し、新たなレジャームーブメントとして台頭。精神的な自由や自己表現の場を提供する象徴となっていく。


スノーボーディングという新しいスポーツは,サーフィンやスケートボーディングを含む,反競争主義的,反資本主義的な志向が吹き込まれた「新しいレジャームーヴメント」のエッジから,それらと交じり合いながら出現してきたのである

「横乗り文化」と変容するライフスタイル:スノーボード文化の社会学的考察, p104


スノーボードの普及:境界を超えたカルチャーの浸透

スナーファーの他にも、1980年代には西海岸でシムスがスケートカルチャーのエッセンスを雪上に持ち込み、スノーボードは「フリースタイル」という新たな表現領域を切り拓いた。シムスが初のハーフパイプ大会「The World Snowboarding Championships」を開催するなど、スノーボードの存在感は徐々に大きくなっていったものの、当時のアメリカでのスキー場での普及率は1985年までわずか7%にとどまっていた。スノーリゾートという既存のレジャー空間に対してスノーボードは当初スキーという支配的な文化に挑戦的な存在でもあったためか、滑走スキルの問題という側面だけではなく身体表現やファッション、態度においても問題視され、多くのスキー場では最初は受け入れられなかった。

そんな中でスノーボードの普及に大きく貢献したのがバートン・スノーボード社を創業したジェイク・バートン・カーペンターの取り組みであった。スノーボードの普及に力を注ぎ、スノーボードのリフト乗車を認めてもらうための取り組み、安全に滑走できるボーダーの認定精度、スノーボーダーの行動指針作成など様々な取り組みを行う。1980年代後半には彼の取り組みによって、わずか2年で普及率は95%まで急上昇。スキー場の経営が難しい時代ということも重なり、スノーボードはスキー場としては新たな収益の柱として登場した。

また、バートン・スノーボードはオーストリアでのスキー技術を応用した大量生産体制も1984年に確立され、90年代に向けて市場は急速に拡大していく。


日本でのスノーボードの波:1980年代からの潮流

日本では1979年、パイオニアであるモス社が「雪用サーフボード」として「モス・スノースティック」を発表すると、数年後には小倉貿易がバートンの日本代理店となり、日本市場にバートンスノーボードを導入。さらに1982年には日本スノーボード協会(JSBA)が設立され、全日本選手権などの大会も開催されるようになった。


1981年頃に製造されたバートンスノーボード - By VintageWinter - Own work, CC BY-SA 4.0


とはいえ、1990年のスキー人口が1380万人だったのに対し、スノーボード人口は約10万人と少数派であり、日本でも同じ状況でスノーボードは、まだスキーに比べてマイナーな存在であった。しかし、1991年以降、バブル崩壊でスキー熱が冷めると同時に、海外で巻き起こったニュースクールムーブメントが日本にも波及。1990年代に入り、スノーボードは新たなスタイルとして瞬く間に若者の間で支持を拡大していくことになる。


レジャー白書より。日本でのスキー人口とスノーボード人口の推移。スノーボードは1997年からの計測。田嶋(2021)によれば、1990年のスキー人口が1380万人だったのに対し、スノーボード人口は約10万人と少数派


ニュースクールムーブメント、新しい自己表現

1990年代の初頭、音楽、ダンス、ファッションなどの分野で「ニュースクールムーブメント」が起こり、スノーボードも例外ではなかった。スノーボードにおいては個人のスタイルやファッションもより重視され、このムーブメントが単なる競技としてのスノーボードから一歩進んで、個性やライフスタイルを表現する手段へとスノーボードのあり方を押し上げた。メディアによる表現も広がり、スノーボードの新たなアイデンティティが広まっていく。

田嶋(2021)によれば、ニュースクールを代表するスノーボード映像作品として語り継がれているのが1993年のFall Line Filmsの「Roadkill」であり、滑りを魅せるのはもちろん、スノーボードを生活の中心に置く「ライフスタイル」に対する憧れを喚起させる作品でもあり、プロスノーボーダーにとっては大会に参加して良い成績を収めるとい従来とは異なる新しいプロフェッショナルのあり方を示した作品でもあるという。



メインカルチャーへの変容、商業化、新たな意義の創出

こうしたカルチャーの広がりや人気もあいまり、1998年の長野オリンピックではスノーボードは正式な競技種目として採用され、一気に世界的な注目を浴びた。しかし、これはスノーボードにとってある種の転機でもあった。かつてカウンターカルチャーとしての意味を持っていたスノーボードは、次第にメインカルチャーへと認知が変容され、商業化が進んでいく。

反体制的で自由なスピリットを象徴していたスノーボードが、徐々にメインストリームとしての地位を築く一方で、その反骨精神が失われていくという皮肉な側面があるとも捉えられる。しかし商業化が進むことで、プロがより活躍できる環境や、プロでない人も仕事でスノーボードに関われる機会が増えたり、スノーボードの性能が上がってできることが増えたり、楽しむ環境の場所が増えたり質が上がっていくのも事実ではある。スノーボードの楽しみの形が増えているのも事実だ。


スノーボードの未来

スノーボードは競技としての側面の他にも、ファッションや音楽、表現と結びついたライフスタイルの一部として新たなカルチャーの一翼を担っている。スノーボードは、かつての反骨精神を受け継ぎつつも、時代に合わせて進化を続けていき、今後も様々な人々の心に響き続けるだろう。


参照:
濱野智史(2013)「横乗り文化」と変容するライフスタイル:スノーボード文化の社会学的考察
野上大介(2017) スノーボーダーとしての生き方を考える
Istanbul Weekly(2018) Istanbul Weeklyvol.7-no.38 在イスタンブール日本国総領事館
田嶋リサ(2021) スノーボードの誕生 なぜひとは横向きに滑るのか 春陽堂ライブラリー


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