スキーの歴史 : スキーの起源から日本にスキーが広まるまでを紐解く

滑走文化

スキーの歴史は雪の上の移動のためというシンプルな目的から始まり、現在ではスポーツやレジャーとして様々な側面を持つに至った。スキーの歴史から、これまで変化してきたスキーの世界やあり方を読み解く。


スキーの起源

スキーは一体どこで、どのように生まれてきたのだろう? 鈴木 (1967) によれば、スキーの起源は極めて古く、5000年または6000年以前とも言われ,その発祥の場所についても色々な説があると述べている。(1) スキーはもともと滑るためのスキーとして存在していたのではなく、雪の上を歩く道具として誕生した。(1)ここから随時改良され、雪を滑るツールとして、形が変化していったとされる。


スキーの発祥はどこなのか?

積雪の多い地方では場所を問わず日常生活の必需品として出てきたと考えられている。北欧では神話の中でもスキーが確認されており、スキーの男神である”ウル(Ullr)”が登場していたり、スガディ(Skadi)という女神が神話の中で登場する。(1)



起源説に関してはアジア説もあり、ギリシヤの歴史家Herodotus(B.C.484~424)の世界歴史によれば、西歴紀元5世紀頃にはアルタイ山脈地方の民族が山羊足をもって雪中を走ったと記録しており、これがスキーに関する最古の文献であるとも述べている。(1)発祥の地は結局どこが最初なのかは定かではない。初期は積雪のあるエリアでの移動としてのツールとして使われ、紀元1000年頃からは軍隊にも使用されたことは確かだが、実用的な面での発展以降、大きな発展はしばらくなかった。(1) スキーの発展はその後、まずノルウェーから大きく発展していくことになる。


移動としてのスキー

スキーは長い間、移動など実用性を重視して使われるようになる。これは近代になっても変わらなかった。1808年スウェーデン・ノルウェー戦争では、ノルウェー軍隊は2000人よりなるスキー連隊をもち、大きな成果を収めた。(1) スキーは探検にも使われるようになり、1888年にノルウェーのフリチョフ・ナンセンがグリーンランド踏破に成功した時にはスキーが歩行具として用いられた。


スポーツとしてのスキーの誕生

ノルウェーでスキーの発展の方向がガラッと変わった。これまでは雪上の移動手段としてスキーは実用面で使われていたが、1867年にスキーの競技会が開催されたときにノルウェーでスキーを国技とすると決議され、19世紀後半からスポーツとしても発展していくこととなる。(1) 1870年代にはクリスチャニア地方やテレマーク地方のスキー愛好家が集まり、練習を始めた。(1)こうして欧州最初のスキークラブとして「クリスチャニア・スキークラブ」が創立される。(1)


1883年には「ノルウェースキークラブ」が創立され、1892年には「スウェーデンスキー協会」ができ、その3週間後にはストックホルムで最初の国際スキーレースが開催されるなど、どんどんスポーツとしてのスキーが欧州各国に広まっていく。(1) 日本でも1921年ごろにスポーツが盛んになり、スキー界では日本選手権が1923年に開催され、1925年に全日本スキー連盟が誕生し、競技化が進んでいく。(2) 1928年には初めて冬季オリンピック(サンモリッツ大会)に選手を派遣した。(2) こうしてスキーはスポーツとしてどんどん発展を遂げていくのだが、その中でも特殊な発展を見せたのはマチアス・ツダルスキーの「アルペンスキー術」だった。


アルペンスキー術が登場

これまでに紹介したシベリアや北欧などで氷や雪の上を歩き、ナンセンもグリーンランド横断に使用したスキーは今では北欧では「クロスカントリー」という歩くスキーとして楽しまれ、これがスポーツ化したものがクロスカントリー、スキージャンプ、テレマークスキーと呼ばれる「ノルディック種目」になる。(3) 一方、これから紹介するオーストリアのマチアス・ツダルスキーによって生み出した「リリエンフエルドスキー術」によって雪の深い山にも自由に行けるようになり、登山や山岳ツアーを目的とするスキーが、私たちがスキー場で楽しむ馴染み深い「アルペンスキー」となり、これをスポーツ化したのが「アルペン種目」と呼ばれる競技になる。(3)日本のスキーの発祥は,1912年に新潟県高田市でオーストリアの武官レルヒ少佐が師団の将校達を指導したことによるとされているが、そのレルヒの伝えたスキー術が,マチアス・ツダルスキーによる「リリエンフエルドスキー術」であった。(4)


マチアス・ツダルスキーのスキー術

リリエンフエルドに住んでいたツダルスキーは、1891年に出版されたフリーチョフ・ナンゼンの「グリーンランド・スキー横断記」で、北極探険家が祖国ノルウェーで冬期雪上の歩行具として用いられているスキーがグリーンランド横断旅行に非常に役立ったと書かれていた記事に興味を持った。(4) 早速ノルウェーからスキー用具一式をとり寄せたツダルスキーはそこから6シーズンの間、ひとりで練習と研究を続けて、用具と技術を改良し、1896年の11月に「リリエンフェルド・スキー滑走法」という本を発刊する。(4) ツダルスキーのねらいは,山岳ツアーのためのスキーであり、険しい、雪の多いアルプス登山を目的とした一方で、平地やなだらかな丘陵を歩き走ることを目的とするノルウェーの技術とは異なる技術だった。(4)このツダルスキーのスキーはまた「アルペンスキー」とか「オーストリア式スキー」等とも呼ばれている.(4) また、ツダルスキーは1905年にリリエンフェルドのムツケンコーゲルの急斜面に,最初の関門を立てたスキー競技会が開催。(4) この大会が今日のアルペンスキー競技のスラローム(トールラウフ)の源となった。(4)


日本へスキーが伝来:スキーを広めたレルヒ

日本にスキーを広めることとなるオーストリア・ハンガリー帝国のテオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐もツダルスキーのもとでアルペンスキー訓練を始め、講習会やスキーツアー、競技会、軍隊スキーについての十分な経験を積んだ1人だ。(2) 最初にレルヒが日本に持ってきたスキーもツダルスキーが考案したというリリエンフェルト式スキーの締具をつけたものだった。(3)1911年1月 12 日には、日本で初めての本格的なスキー指導が陸軍第十三師団歩兵第五十八連隊(現在の上越市高田)で行われた。(5)五十八連隊の14 名の将校たちが、レルヒからスキー指導を受け、そこからレルヒの伝えたスキーはあっという間に高田から全国へ広がっていった。(5)


アルペンスキーを日本に広めたハンネス・シュナイダー

その後日本にも伝来したスキーはハンネス・シュナイダーによってさらに広まっていく。シュナイダーは1890年オーストリアのチロル地方アールベルグで生まれ、15歳頃から各地の大会で優勝し、その後アーノルド・ファンク博士に妙技を認められ,有名なスキー映画「スキーの驚異」を二人で1920年製作など行い、中欧のスキー界をリードした。(1)彼の技術はアールベルグスキー術(以下:アルペン技術)と呼ばれ、その技術が広まっていく。(1) 1930年3月にはシュナイダーがオーストリアから来日し、アルペン技術を伝え、ここから日本ではアルペン技術への関心が加速することになる。(1) 玉川学園ウェブサイトでは、シュナイダーの招へいの経緯についてのストーリーが書かれている。「スキーを習うなら世界一のスキーヤーから習いたい」という子供たちの願いを聞いた玉川学園創立者、小原國芳は総領事館に直接交渉し、シュナイダー来日が実現した。(6) 玉川学園と成城学園の生徒に対し、池の平で講習会を開催。また、シュナイダーは、日本に初めてスチール・エッジを持ち込み、以来、日本のアルペンスキーは一変する。(6)


日本のスキーの大衆化を推進したスキーツーリズム

スキーの大衆化の推進役として、大きな役割を果たしたのが観光業だ。スキー客を都市からゲレンデまで運び、宿泊させるというインフラやサービスが整わなければスキーはできない。(7) ここでは大きくスキーを大衆に広めることとなったスキーツーリズムの観点から見ていく。

スキー場開発以前

日本ではスキー滑走は大正期(1912 - 1926)の中頃までに全国的に知られるようになり、なだらかな山の斜面や丘陵地、城の坂道、川の土手などでスキーが行われるようになり、昭和の初めまで「スキー場」ではなく、「スキー地」と呼ばれていた。(2) 1918年頃から登山家がスキーを使い始め、大正末期にはシュナイダーによる映画「スキーの脅威」や、書物が日本に入ってくるようになり、年々山スキーを楽しむ人が増えていく。(3) この時期から文部省が大衆にスキーを普及する講習会も毎年開催するようになったこともあり、この時期から都会から鉄道を利用したスキー・ツーリズムが盛んになっていくようになる。(2) 鉄道省は1924年に「スキーとスケート」を出版し、鉄道沿いの全国役五十一ヶ所の「スキー地」を紹介している。


日本でのスキーツーリズムにおける組織的な動き

1930年のシュナイダー来日によってアルペン技術が広まったことで、競技スキーとは別に、裕福な市民たちが都心部からスキー場に訪れるようになり、同時にスキー場の開発も進んでいく。(2) 1932 - 38年には鉄道会社、スキー倶楽部、旅館などが組織的に動くようになり、スキー集客を目指すようになる。スキー客の増加を受けて名古屋鉄道局では1932年に同管内のスキー協会、倶楽部、交通関係、旅館、スキー製作業、鉄道などの代表を集め、「スキー場関係協議会」を開き、集客のために連携をとり、その流れで飯山スキー団と飯山鉄道株式会社は1933年に「北進スキー連盟」を設立するなどの動きを見せる。(2)


スキー場開発、スキーの楽しみ方の変化

第二次世界大戦直後には札幌藻岩山と志賀高原丸池に日本最初のリフトが設置され、1950年頃からはスキーリフトを伴った本格的なスキー場開発が開始される。(2) この戦前と戦後では、大衆のスキーの楽しみ方にも大きな変化があるようだ。元々戦前では、主に冬山登山の手段としてのスキー登山や,スキーを履いて山野行をするスキーツアー,斜面を登り,滑ることを目的としたゲレンデスキーといったかたちで楽しまれていたが、戦後リフトができてからは、従来の歩行を伴い、登ることへの達成感を得ることや自然を味わうことが目的とされていた大衆の娯楽としてのスキーが滑り降りることだけを目的とする楽しみ方へ変化することとなる。(8)


1960年代〜:第一次スキー場開発ブーム

1960 - 73年頃にかけては戦後の高度経済成長を背景に、日本列島改造論で起こった観光開発ブームのもとで「第一次スキー場開発ブーム」が起こった。(2)


1980年代〜:第二次スキー場開発ブーム

また、1980年台から1990年代初頭にかけて、「第二次スキー場開発ブーム」も起き、バブル景気も相まってリゾート開発も進んでいく。(2)


スキー人気の低下

1993年以降、バブル経済が崩壊し、第二次スキー場開発ブームも急に下火になり、スキー人口も急激に減少した。2000年前後からはスキー場経営の悪化が進んだため、スキー場自体の閉鎖や休業が見られるようになり、経営も顧客層の絞り込みや合理化などの経営戦略が重視されるようになっていった。(2)


(1) 鈴木正(1967) スキー発達についての研究 : 自然科学研究 9 31-66, URL: https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/9480/HNshizen0000900310.pdf 
(2) 新井博, 三浦哲, 多田憲孝, 池田耕太郎, 竹田唯史, 布目靖則, 呉羽正昭, 山根真紀, 日本スキー学会 (2021). スキー研究100年の軌跡と展望 道和書院
(3) 長岡忠一(1996). スキーの原点を探る―レルヒに始まるスキー歴史紀行 協同印刷株式会社
(4) 佐藤隆(1987) マチアス・ツダルスキーの研究 : 明治大学教養論集, 200: 105-114, URL : https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/12201/1/kyouyoronshu_200_105.pdf 
(5) 荒川将 日本スキー発祥物語 -黎明期におけるスキーと高田― : 上越市立歴史博物館 年報・紀要(第 1 号), URL : https://www.city.joetsu.niigata.jp/uploaded/attachment/196294.pdf
(6) 「世界一のスキーヤーから習いたい」という少年の一言で実現したシュナイダーの来日とシュナイダー像の制作
(7) 小林勝法・佐々木正人 (2010) レジャー・スキーの大衆化に果たした観光業の役割に関する研究課題 : 文教大学国際学部紀 第20 巻2号
(8) 神田俊平(2016) 第二次世界大戦下におけるスキーの概念変遷とその実際に関する史的考察 ―国防スキーから戦技スキーへの変遷に着目して― : 日本体育大学スポーツ科学研究 Vol 5, 20-28, URL : https://www.nittai.ac.jp/souken/katsudou/pdf/vol5_20-28.pdf


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