スイスへのスキー旅:ツェルマットからヴェルビエへ、スイスの山岳リゾートを巡る [グリンデルワルト編]

スイスの代表する山岳リゾート、ツェルマットやヴェルビエへのスキー旅の様子をお届けする。

以前から海外でのスキーに憧れがあり、これまでカナダやニュージーランドでスキーをし、山岳リゾートエリアに滞在したことがいずれも私にとって貴重な体験となっていた。色々な国でスキーをする様になると、自然とヨーロッパの山岳リゾートにも強い興味を抱くようになったのだが、2023年の3月についにスイスへ1週間スキー旅にいく機会を得ることができた。ここではスイスでの旅の様子を伝える。


3/8にいよいよ出発。CATHAY PACIFICの便で、成田から香港への乗り継ぎでチューリッヒ(Zurich)へ向かう。

飛行機から見えるチューリッヒの街並み。


早朝に到着したこともあってか、まだ空港内には人は少なかった。到着後はスイスの国鉄SBBの受付でスイス国内の公共交通機関が乗り放題の「スイストラベルパス」を購入。一番初めはツェルマットでのスキーを予定しており、近くの街フィスプ(Visp)への宿泊を予定していた他、まずはフィスプへ向かう。



行き先・時刻表検索も「SBB CFF FFS」のアプリがあり使い心地はスムーズだ。時刻やプラットフォームがシンプルにしるされており、デザインがとてもみやすい。さらにセクターごとに1等席、2等席というような場所、バイクがのせられる場所なども簡単にアプリ上で確認できる。



国内最大の輸送会社であるSBBは鉄道運行で使用する90%の電力を水力発電で生成しているそうだ。駅やオフィス、関連事業ビルなどのエネルギー調達は、すでに100%カーボンニュートラルで賄われ、2025年までに電力のすべては再生可能エネルギーで供給される予定だという。(1)


チューリッヒからフィスプへ。


チューリッヒから電車に乗り、Vispへ。今回の旅の目的はもちろんスキーリゾートを巡るのが目的としてあったものの、その他の色々なアクティビティも考えていた。その一つがソリのアクティビティ。スイスの山々と麓の街には数多くのソリ用コースがあるのだが、距離が3km, 5kmと書かれているように日本とは比べ物にならないくらい長いコースであることに気づく。ソリのコースはこちらから確認できる。フィスプのインフォメーションセンターに到着して早速利用できるコースを聞いてみた。しかし今年は小雪で近場でいけるところは全てクローズということで今回は断念。次のスイスの旅の楽しみの一つとなった。


スキー場マップとともに書かれているソリコース。しかし今回のスケジュール上いけるところは全て小雪でクローズということで今回は断念


予定を変更し、空いた時間を使って、グリンデルワルト(Grindelwald)へ向かった。グリンデルワルトは名峰アイガーやユングフラウ、メンヒの観光の拠点ともなるリゾート地で日本人観光客にも有名だ。電車での移動になったのだが何よりもスイスの電車の旅がいいのは、車窓からの眺め。素晴らしい景観は電車での旅を飽きさせない。雄大な山々、湖が目の前に広がり、電車の中で快適に座りながら、息をのむような景観を楽しむことができた。



どの車両にも使い勝手の良いゴミ箱が設置されており、旅行者は自分のゴミを簡単に処分することができる。綺麗な車内環境を保つための配慮が感じられる。



グリンデルワルトに到着すると眼前に現れる巨大な山々。存在感に圧倒される。グリンデルワルトはスイスの首都ベルン州に位置する山岳リゾートで、酪農と観光業が盛んな村で、人口は4000人ほど。この4000人ほどの村に大勢の観光客が押し寄せる様になったのは「アルピニズム」の思想が大きく関係している。



山岳の歴史とともにグリンデルワルトの歴史を紐解いてみよう。もともと中世の時代はアルプスの山々は人知を越えた神や魔の世界として畏敬の念を抱かれる存在だった。18世紀にはいりジャン・ジャック・ルソーを初めとする自然と科学の探求、「自然回帰」の思想が啓蒙されるようになり、作家や画家の影響で「自然回帰」と「自然礼賛」の芸術作品が広まったことで、イギリスを中心としたヨーロッパの上流階級を中心にアルプスの山々への関心が高まった。(2)

そして登山がスポーツとしての登山、自分自身が楽しむための手段として認識される様になってから、次々と標高の高い山が目標とされていくようになっていく。1811年には標高4158mのユングフラウ(Jungfrau)、1812年に標高4274mのフィンスターアールホルン(Finsteraarhorn)、1850年に標高4049mのピッツ・ベルニナ (Piz Bernina)、1855年には標高4634mのモンテ・ローザ/デュフール峰、1865年には標高4478mのマッターホルンなど、4000mを越えるアルプスの名峰も次々と踏破された。(2)

こうして登山目的で人が訪れる様になってから、観光としてもアルプスは盛り上がりを見せていくようになる。「ベルエポック」と呼ばれ、ヨーロッパ全体が華やいでいた時代には、アルピニズムや自然賛美のブームと重なり、スイスの山岳地方には、欧米諸国から多くの観光客が押し寄せた。観光のインフラも徐々に整えられていき、1820年に最初のホテルが建てられ、1912年にはユングフラウ鉄道が開通し、標高3454mまで登山列車でアクセスすることが可能となった。(2)


ユングフラウ鉄道建設時の掘削作業(1900年頃) - public domain


グリンデルワルトでは、アルピニズム・山岳文化を通じて日本とも関わりを持っている。19世紀後半には、アルピニズムは黄金期を迎えたが、日本では1905年になって初めて日本山岳会が組織され、ようやくアルピニズムの概念が日本に紹介され、黎明期を迎えることとなった。実業家の加賀正太郎は1910年に日本人として初めて名峰ユングフラウに登頂。また、槇有恒は1921年にグリンデルワルトの3人のスイス人ガイドとともに名峰アイガーの東山稜(ミッテルレギ稜)の初登攀に成功し、初登頂を達成し、ミッテルレギ小屋建設にも尽力した。槇が1919年秋にグリンデルワルトに到着した際には、山村の生活に馴染み、アルプス登山を歴史、地形、装備、山岳ガイドなど多方面から研究することから始め、村人たちと硬い絆を結んでいた。(2)(3)


Hotel Kreuz-Post グリンデルワルト 撮影者不明 - public domain


そんな山岳文化から観光が発展したグリンデルワルトなのだが、街を歩いてみるとアウトドアショップなどの店舗が点在し、スポーツ用品やアクティビティに関する様々なアイテムが並ぶ。レストランやカフェ、ホテルもコンパクトにまとまっており、アルプスを眺めながら楽しめる様な形になっていた。迫力あるアイガーやユングフラウなどの名峰が、建物群の背後にそびえ立ち、圧倒的な存在感を放つ。メイン通りを進む途中には、ゴンドラ乗り場もあり、スキーヤーが自転車に乗りながら帰っていく姿も目にする。チョコレートショップやお土産屋にはチョコレートの缶などに見られるスイスのビンテージアートなど、スイスの文化や伝統を反映しているようで、デザインにもスイスらしさが感じられた。



帰り途中、車窓からは村の合間を抜けてスキーコースが作られているのも見えた。かなりロングな下山コースだ。普通の民家だろうか、ホテルだろうか?民家の中を上手に整備されたコースが続いていく。スキーヤーにとってはスキーをしながらその街の様子も楽しめる様になっているようだった。


次はグリンデルワルトでスキーとソリをしよう、と次の遊びリストを頭の中で考えながら宿へ戻って行った。夜はフィスプでAirbnbでの宿泊。家の中がかなりおしゃれな作り。ホストも優しく丁重にもてなしてもらったので、リラックスして過ごすことができた。明日の朝食の準備をして明日はいよいよメインの目的地の一つ、ツェルマットへ!



次回へ続く。


スイスへのスキー旅:ツェルマットからヴェルビエへ、スイスの山岳リゾートを巡る [ツェルマット編]

2023年3月に行ったスイスへのスキー旅。前日はグリンデルワルトを堪能し、次の日はいよいよツェルマットへ。

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