いつからだろう。「谷川岳」という名前が、どこか耳の奥に残っていた。多分子どもの頃のふとした会話の中で、あるいは何かのスキー・スノーボード雑誌の一ページで。その場所でどんな滑りができるのか知らないまま、ただ静かに気になり続けていた。そしてこの1月についに谷川岳での滑走の時間を取ることができた。
標高1,977メートルの谷川岳はロッククライミングの聖地、“魔の山”、スノーボードカルチャーの洗練の場として、いくつものストーリーがある。
歴史を遡ると、1921年にモンブランに日本人として初めて登頂した日高信六郎、アイガー東山稜の初登攀を果たした槇有恒等彼らが生きた時代、日本国内にも「アルピニズム」という思想が浸透し始め、その影響は谷川岳にも波及していく。1931年、上越線の開通によって、東京から水上(みなかみ)までのアクセスが劇的に改善されると、谷川岳は登山者たちのフロンティアとなった。人が集まり、挑戦が重なれば、当然リスクも増える。1930年代以降谷川岳では死亡者が800人を超えており、世界で最も危険な山の1つとして知られるようになり谷川岳には「魔の山」という異名が付きまとうようになったが、それでも人々はこの山に魅了され足を止めることはなかった。¹⁾
また現代の谷川岳は、多層的なカルチャーが交錯するフィールドへと変化している。冬には「Mt.T by Hoshino Resorts」(旧・谷川岳天神平スキー場)として知られ、登山者だけでなくスキーヤーやスノーボーダーたちが集まる場となっている。
象徴的なのが「TENJIN BANKED SLALOM」という大会だろう。自然が作り出す地形——バンク——をそのまま活かして滑るこのシンプルな大会は、北米・Mt.Bakerのイベント「Mt.Baker Legendary Banked Slalom」にインスパイアされ、2010年に誕生。競技でもありスノーボードの“原点回帰”を目指すこのコンテストは、スノーボードのカルチャーを見つめ直す場として毎年盛り上がりを見せている ²⁾³⁾
こうして様々なカルチャーを内包する谷川岳なのだが、今回はMt.T(旧・天神平スキー場)からアクセスするルートを選んだ。リフトを降り、整備されたゲレンデをゆっくりと抜け出す。目の前に現れるのは堂々とした山並み。白く鋭い稜線が、空に向かって滑らかに連なっていた。

遥か先に、ポツポツと小さな影が見える。既に滑り終えた誰かの痕跡や、これから他の山へ挑む者の背中。人の存在が山のスケール感を際立たせる。

谷川岳は冬山登山の場としてよく知られているのかこの日は登山者たちとひっきりなしにすれ違った。すれ違うたびに交わされる「こんにちは」という挨拶が、静かな山の空気に心地よく響く。多くの登山者が歩いてきた跡を道標に突き進む。



斜面に差しかかると、薄く軽い新雪が足元に広がっていた。陰になった斜面では雪質が良く、足裏に柔らかな反応を返してくる。一方で陽の当たる側では既に雪が締まり、アイスバーンのように固くなっていて、同じ斜面でも全く別の感覚を味わった。





滑走中、いくつかのデブリも目に入った。ボコボコとした雪面を慎重に、時に勢いよく滑り抜ける。無事にロープウェー乗り場近くまで降りてきたときには滑り切った達成感とともに、この山の持つ奥深さ・色々な場所を滑りたいというという気持ちにも駆り立てられる。
谷川岳で過ごしたこの一日は、この山のすべてを知るにはあまりにも短い。しかしさらなる好奇心を駆り立てるには十分すぎるほどの体験だった。さらに深く、この山の魅力を今後も味わっていきたい。
参照:
1) 【自然と人】上越線開通と登山ブーム:一ノ倉沢、土合駅、山岳資料館、慰霊碑
2) ABOUT - TENJIN BANKED SLALOM
3) 天神バンクドスラローム - 水上町観光協会公式サイト