農薬は人口が爆発的に増えている世界の中で、食料を供給するために大事な役割を担った一方で、毒性の強い農薬は残留という形で生態系へのダメージや健康被害など与え、負の影響も叫ばれてきた。農薬にはどのような歴史があり、そしてどんな未来を迎えるのだろうか。
そもそも農薬とは
農林水産省では、農薬を以下のように説明している。
農薬とは、農作物や観賞用植物など人が育てている植物に発生する害虫や病気を退治したり、雑草を除いたりするために使われる薬剤などのことです。
農薬ってなに?
農薬の分類
農薬は使用目的から次のように分類される (1)
- 殺虫剤:農作物を加害する害虫および衛生害虫を防除する
- 殺菌剤:農作物を加害する病気を防除する
- 殺虫・殺菌剤:農作物の害虫,病気を同時に防除する
- 除草剤 :雑草を防除する
- 殺そ剤 :農作物を加害するノネズミなどを防除する
- 植物成長調整剤:農作物の生育を促進あるいは抑制する
- 誘引剤:主として害虫をにおいなどで誘き寄せる
- 忌避剤:農作物を加害する哺乳動物や鳥類を忌避させる
- 展着剤:ほかの農薬と混合して用い,その農薬の付着性等を高める
農薬の歴史
農薬はいつから使われてきたのか。近代的な化学合成農薬は1938 年の DDTから始まったが、日本では 1670 年にウンカを駆除するために鯨油が用いられたのが最初の農薬使用だと言われている。(1) ここでは化学合成農薬の歴史を追っていく。
化学合成農薬の始まり
近代的化学合成農薬の歴史は,1938 年にスイスの技師、パウル・ヘルマン・ミュラーが DDTに強力な殺虫作用があることを発見したことによって始まった。(1) 日本では第二次世界大戦後に化学農薬が本格的に使用され、DDTやBHCなどの有機塩素系殺虫剤が最初に使われた。(2)
戦後の食糧難に活躍した農薬
戦後は日本はひどい食糧難に襲われた時代だった。第二次世界大戦によって7000万人の人口の 4%強にあたる約 300 万人の犠牲者をだした。(3) 農業の面でも労働力と肥料が不足し、1930 年代の 65%までに落ち込んだ。(3)海外からの食糧輸入も途絶え、農業も人手がいなくなり食料供給が追いつかなくなり、500 万人に上る兵士が海外から戻ってきたことで消費人口が増加したこともあり、未曽有の食糧危機に陥った。(3)

DDTは戦後直ちにGHQによってもたらされ、ノミ,シラミ,ハエ等の防疫用として大量に使用されることとなったが、農薬用途にも検討が重ねられるようになった。(3) DDTを皮切りに、BHC、パラチオン、2,4-PAなど多くの化学農薬が導入され、食料不足を克服するのに、農薬は化学肥料とともに大きな役割を果たした。(2)
農薬が引き起こす環境汚染・人体への悪影響
戦後、農業の生産性を高めるのに大きな役割を果たした農薬だったが、農薬の種類によっては健康や環境に悪影響を及ぼすということもわかってきた。化学合成農薬の創生期には毒性の強い農薬・殺虫剤が多く使われ、中毒事故が多発した。パラチオンによる中毒事故などはその代表例として知られる。(1)また、農薬は残留という形で間接的にヒトや生態系に負の影響を与えることがある。1962年にアメリカの海洋生物学者、レイチェル・カーソンの「Silent Spring(沈黙の春)」が刊行され、農薬による環境汚染問題に警鐘が鳴らされることとなった。

「Silent Spring(沈黙の春)」という本は、自然界で分解しにくい化合物を農薬として使うと、環境中で蓄積しヒトや環境・生態系等に思わぬ悪影響が発生する可能性があることを指摘した。(1) そしてこれまで考慮されなかった残留農薬の負の影響についてを告発する革新的な内容であった。(1)
💡 残留農薬とは? 食物や農産物に残った農薬のこと。当時においては、少量でも摂取し続けることで農薬が蓄積し、毒性が現れることや、食物連鎖によって生物濃縮(外から取り込んだ物質がさらに高い濃度で体内に溜まっていく)が起こり、食物連鎖の上位に位置する生物に悪影響を与える可能性があるとの観点は画期的なものだった。(1)
農薬の規制強化
「Silent Spring(沈黙の春)」の本がきっかけとなり、米国で環境保護庁(USEPA)がたちあがるきっかけとなった。日本でも1971 年には農薬取締法が改正され、環境庁が設立され、残留農薬や農薬の環境影響に関する規制が始まった。(1) 終戦とともに日本に持ち込まれ、公衆衛生の改善と農業生産に大きく貢献した DDT や BHCも日本での使用が 1971 年に禁止された。(1)規制の強化によって徐々に農薬も安全性を改善してきている。

また、戦後初期は,特定毒物と毒物に指定される農薬が多く使われており、全体の 5 割を超えた時期もあった。(1) しかし規制の強化と,より安全な新規農薬の登場で大きく改善されることとなる。(4)

有機農業の流れ
一方で、化学肥料や農薬を使う近代農業に対して、農薬や化学肥料をやめ、有機肥料を使い、生態系・環境にも配慮をしながら作物を作る有機農業の流れもで始めた。有機栽培という定義があいまいなために市場で混乱が起こったこともあり、2000 年には「有機農産物の日本農林規格(JAS)」が農林水産省によって定められた。(1) この規格では化学肥料、農薬、遺伝子組み換え作物についてのルールが定められている。(4)
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有機農業はまだまだ十分に広まっているとは言えない。現状では国内で収穫された有機農産物は,2010 年時点で全生産量の 0.23%と少ない量にとどまっている。(4)世界的にも有機農業の土地や有機農産物の売上は増えつつあるものの、まだまだ規模としては小さい。FiBL(スイス有機農業研究所)とIFOAM-Organics International(国際有機農業運動連盟)が作成した世界の有機農業に関してのレポートより、有機農業の農地のヘクタール数と、農地全体に対する有機農業の農地の割合をみてみる。

このグラフを見ても、ヘクタール数は1999年から徐々に増えてはいるものの、世界全体の農地に対しての割合としては2019年時点では1.5%しかない。

2019年時点では、世界のオーガニック食品の売上高は 100 billion US dollaars (1 ドル = 100 円とした時は10兆円)をこえる。図を見るとヨーロッパと北アメリカ地域が大半を占めていることが分かる。
これからの人口をどう支えるか?
1800年あたりから世界人口は爆発的に伸び、2022年時点で70億人を超えている。

今後は環境に対しても強く考慮しなければならない中、今後の食糧供給のために農薬はどのような位置付けになっていくだろうか。さらに安全性を高める農薬が開発されていくのか、それとも有機農業の流れが今後さらに強まっていくのか。どのように今後この両サイドのバランスが保たれていくのか。これは農業生産側だけでなく、消費者側の価値観によっても変わってくる。
参照: (1) 北村恭朗(2015) 現代社会における農薬の役割およびその開発に関する現状について - ジェネリック品の流通実態等も踏まえた現状分析 -, 農薬調査研究報告 = Research report of agricultural chemicals (2) 「化学農薬」はいつ頃から使われるようになったのですか。 (3) 大田博樹(2014) 日本の農薬産業技術史(3) ―農薬のルーツと歴史,過去・現在・未来― 植物防疫 第68巻 第8号 (4) 大田博樹 日本の農薬産業技術史(4) ―農薬のルーツと歴史,過去・現在・未来― アイキャッチ写真: Photo by Arjun MJ on Unsplash