有機農業とは何かを歴史から考える

有機農業は自然環境・生態系の循環を守っていきながら自然の力を農業に生かしていく農業であるが、日本の中での歴史的な流れでは、農業の近代化に対して異を唱える社会運動としても見ることができる。有機農業が誕生し、発展した歴史や経緯を見ていく。


そもそも有機農業とは

元々の自然の本来の自然環境・生態系の循環を守っていきながら、自然の力を農業に生かしていく農業のことで、「有機農業の推進に関する法律」による有機農業の定義は以下のとおりに書かれている。


化学的に合成された肥料及び農薬を使用しない

遺伝子組換え技術を利用しない

農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減する

【有機農業関連情報】トップ ~有機農業とは~


オーガニックとは何かについて下記に詳しく書いた。


オーガニックとは | オーガニックの意味や目的、認証制度や無農薬栽培との違い

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どのように有機農業は生まれたのか?

初めて「有機農業」という言葉が使われたのは1971年で、日本有機農業研究会が創立された時に使われるようになった。(1) この言葉が生まれるまでにどのような背景があり、現在に至るまでどのように発展していったのだろうか。


農業の工業化

有機農業の誕生の背景として、まず「農業の工業化」が挙げられる。

20世紀初頭から「農業の工業化」が始まり、1914年の第一次世界大戦時の軍事技術から、多くの殺虫剤や除草剤、化学肥料などが開発された。(2) 大正時代に入った1920年代には化学合成農薬も使われはじめ、第二次世界大戦が終った1950年代には、化学肥料と農薬がどちらも広く使われるようになった。(2)

さらに1961年には農業の生産性向上や農業従事者の所得増大のために農業基本法が成立。この法律によって農業の機械化や化学化、施設化など農業技術の導入で効率的な農業体型を育成する土台ができていった。(1)

化学、機械、土木といった工学技術の発展にともなって生まれた化学合成農薬や化学肥料、大型の農業機械、高度な灌漑設備といった近代的な農業技術は、農業の生産性を飛躍的に高めることになる。(2)


農薬問題・食品公害問題

戦後、農業の生産性を高めるのに大きな役割を果たした農薬だったが、農薬の種類によっては健康や環境に悪影響を及ぼすということもわかってきた。化学合成農薬の創生期には毒性の強い殺虫剤が多く使われ、中毒事故が多発した。パラチオンによる中毒事故などはその代表例として知られる。また、農薬は残留という形で間接的にヒトや生態系に負の影響を与えることがある。1962年にアメリカの海洋生物学者、レイチェル・カーソンの「Silent Spring(沈黙の春)」が刊行され、農薬による環境汚染問題に警鐘が鳴らされることとなった。



農薬の歴史については詳しくはこちらに書いた。


農薬の歴史:農薬はいつから、どのように使われてきたのか

農薬は人口が爆発的に増えている世界の中で、食料を供給するために大事な役割を担った一方で、毒性の強い農薬は残留という形で生態系へのダメージや健康被害など与え、負の影響も叫ばれてきた。農薬にはどのような歴史があり、そしてどん ...

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また、化学合成農薬・肥料などを使って生産性を高めたり、大量生産による加工食品が広く普及し始めると、食品公害が問題となるようになった。以下に例を上げる(3):

  • 森永ヒ素ミルク中毒事故(1955)
  • 水俣病 (1956)
  • 缶ジュースによる食中毒事件 (1963)
  • 即席めん類による食中毒事件 (1964)
  • ズルチンによる食中毒事件 (1966)
  • カネミ油症事件 (1968)


森永ヒ素ミルク中毒事故にて、回収されたドライミルク。朝日新聞社 - 『アサヒグラフ』 1955年12月28日号, パブリック・ドメイン


安心な食を求めて出てきた有機農業

毒性の強い農薬が広まり農薬被害が出始めることで、安全な食べものを得るために有機農業を始める農家が現れ始めた。安心な食を得るという動機以外にも、様々な動機によって有機農業は広がりを見せるようになる(1):

  • 安全な食べものを求める消費者との出会い
  • 環境破壊の防止
  • 伝統的農法の継承
  • 反公害・反開発運動からの派生 (熊本県水俣病患者による無農薬栽培や千葉県成田市三里塚のワンパック野菜など)
  • 農産物自給運動 (農協婦人部や生活改善グループによる有機野菜作り、有畜化など)
  • 脱都会派による取り組み (興農塾(北海道標津町)や耕人舎(和歌山県那智勝浦町)など、学生運動に参加していた若い都市住民の取り組みなど)

など。

1971年には日本有機農業研究会が創立し、ここで初めて有機農業という言葉が用いられるようになる。

また、1974年には、農業の近代化が与えた食べものや環境、人体への影響について書かれた「複合汚染」という連載が朝日新聞で開始し、人々は化学肥料や除草剤などによる健康被害・環境汚染に強い不安を抱くようになった。(2)


地域という枠組みから見た有機農業

有機農業は戦前や戦後間も無くの頃は当たり前の方法だったが、農業の近代化によって絶対的少数派となり、ベテラン有機農家は異端児・変わり者として扱われた。(1) 特に農薬空中散布のような共同性を求める取り組みに関しては有機農家と慣行農家との間で緊張関係を引き起こした。(1)

こうした慣行農業との対立もあり、有機農業は地域という枠組みを超えてネットワークを構築していくことになる。その全国的拠点になったのが日本有機農業研究会であった。(1)


有機農産物の流通

様々な動機によって広がった有機農業だったが、有機農産物は始まった当初、野菜の見ためや規格を重視する一般市場流通では受け入れられなかった。(1)そのため、1970年代初頭からは生産者が消費者に直接農産物を届ける「産消提携」という取り組みが生まれ、新たな流通システムを作り出した。(1)

当初は有機農産物は店舗で購入することができなかったために提携というかたちで有機農産物を入手していたが、1970年代後半になると有機農産物を専門に扱う事業者や、自然食品店などが活動し始め、1980年代以降はデパートやスーパーなどでも有機農産物を取り扱うようになる。(1)


有機JAS制度の開始

流通が多様化するにつれて、課題も生まれた。流通の経路が多様になったことで、「有機栽培」「減農薬」「低農薬」「微生物農法」など、さまざまな表示が氾濫するようになった。明確な栽培基準や表示のルールが求められるようになり、2000年頃から有機JASの認証制度などの法整備が進んでいく。(2)


歴史から見た有機農業

歴史的な流れの中では、有機農業は農業の近代化に対して異を唱える社会運動でもあった。今後は有機農業はどのように発展していくだろうか。


(1) 小口 (2015)
(2) 「有機農業」を考える|これまでとこれから
(3) 株式会社ぎょうせい (2006)

アイキャッチ写真:
Photo by Kenny Eliason on Unsplash
株式会社ぎょうせい (2006) 国内で発生した事故・事例を対象として食品安全に係る情報の収集と提供に関する調査報告書 (国内の食品に係る化学物質による事件・事故の事例調査)
小口 広太 (2015) 有機農業のこれまで・いま・これから ―改めて「地域」の視座から考える― PRIME 38 37-50 https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2488&item_no=1&page_id=13&block_id=21

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