豪雪地帯とは何か。単純に雪がたくさん降る地域という意味でも使われるが実は雪害対策のために生まれた言葉でもあり、雪国の生活を守るために重要な役割を果たしている。
豪雪地帯の定義
まずは豪雪地帯の定義について調べてみる。
豪雪地帯(ごうせつちたい)は、冬に大量の積雪がある地域のことで、日本の法制度上は特に豪雪地帯対策特別措置法に基づき指定された地域を指す。
wikipedia - 豪雪地帯
豪雪地帯や特別豪雪地帯の指定地域
豪雪地帯や特別豪雪地帯に指定されているエリアはどのあたりなのだろうか。指定地域を見てみると、日本海側に沿って南は広島県あたりまで豪雪地帯は広がる。
国土交通省によれば令和4年の4月1日現在で、豪雪地帯と特別豪雪地帯を合わせると全国で532市町村あり、全国の市町村の30.9%、面積の50.8%(19万1989㎢)を占め、人口では15.0% (1901万人) を占める。特に特別豪雪地帯に指定されている市町村の近辺には山脈があることが近い。
海の上で発生した沢山の水蒸気が発生して雲となり季節風で日本列島まで運ばれるが、山脈によって上昇することで大量の雪雲に変化するために、山脈の近くは大雪になりやすいと言われる。大雪のメカニズムの詳細は下記にてみることができる。
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豪雪地帯対策特別措置法はどんな法律なのか
「豪雪地帯」や「特別豪雪地帯」を指定する基準となっている「豪雪地帯対策特別措置法」とはどのような法律なのか。
第一条 この法律は、積雪が特に甚だしいため、産業の発展が停滞的で、かつ、住民の生活水準の向上が阻害されている地域について、当該地域が人口の減少、高齢化の進展その他の社会経済情勢の変化に加えて気候変動による降雪の態様の変化等により困難な状況に直面していることをも踏まえ、雪害の防除その他産業等の基礎条件の改善等に関する総合的な対策を樹立し、その実施を推進することにより、当該地域における産業の振興と民生の安定向上に寄与することを目的とする。
昭和三十七年法律第七十三号豪雪地帯対策特別措置法
積雪によってその土地の住民の生活コストが上がってしまったり、雪害(雪による被害)による被害を被ったり、産業も交通インフラやその他の条件で不利になってしまうことが多い。その条件を改善するためにこの法律は立法された。
例えばどんな雪害があるのか?
雪国の被害には例えばどんなものがあるだろう?雪氷災害の代表的な例として以下のように分けることができる。
積雪害 | 積雪によって線路や道路が埋もれ、交通障害や、アイスバーンができることによる交通事故が起きる |
雪圧害 | 積雪の重みで建物などが損傷する |
雪崩害 | 巻き込まれると建物が破壊されたり人の命が奪われる。ウィンタースポーツでの雪崩に巻き込まれる事故など。 |
着氷・着雪害 | 湿った雪が電線などに付着して停電被害などを起こす。また、鉄道や航空機などに着氷・着雪が起こることで交通障害も起きる。 |
風雪害 | 吹雪などによって視界が悪くなり、交通事故や交通渋滞が起こる。鉄道や航空機なども運行停止、遅延など影響する。 |
豪雪地帯対策特別措置法の成立までの歴史
「豪雪地帯対策特別措置法」を元にして豪雪地帯という基準が生まれたわけだが、この法律ができるまでにどのような経緯があったのだろうか。新潟県の「豪雪地帯の概要」より参照する。
1929 | 昭和4年 | 松岡俊三氏(山形県出身)が「雪害調査機関設置に関する建議案」を国会に提出。「雪害」が国会の場で初めて議論される |
1930 | 昭和5年 | 「雪害建白書」を配布し、雪害対策の必要性を訴える |
1949 | 昭和24年 | 豪雪対策関係法の第1号として、「公務員に対する寒冷地手当支給法(現「国家公務員の寒冷地手当に関する法律」)が成立 |
1951 | 昭和26年 | 「積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法」が議員立法で、5か年の時限立法として制定 |
1956 | 昭和31年 | 「積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法」が議員立法で制定。 |
1961 | 昭和36年 | 「豪雪」を含む「災害対策基本法」が制定 |
1962 | 昭和37年 | 「豪雪地帯対策特別措置法」が議員立法で成立(法律第73号) |
雪害の救済運動の始まり
豪雪対策、雪国の救済運動の歴史を遡ると1人の人物にたどり着く。山形県出身の衆議院議員松岡俊三氏(1880~1955)は大正末から昭和初め、雪国農村の窮状を目のあたりにし雪国救済のために政府に対して施策を強く訴え続けた人物。(1) この頃の社会情勢として、凶作や慢性的な米価下落、世界大恐慌も重なり東北農村は疲弊していた。(2) 1929年に「雪害調査機関設置に関する建議案」を国会に提出し、「雪害」が初めて国会で議論されるようになった。
「豪雪地帯の概要」によれば豪雪地での対策の必要性が訴えられ始めてから、立法化への歩みを始めるのは戦後になってからだという。戦後になり東北や北陸地方の豪雪地で「雪害対策協議会」などの団体が戦後に相次いで結成され、1948年には(財)日本積雪連合のリサーチによって雪国の生計費は無雪地帯と比べて多くかかるという実態を解明。豪雪対策関係法の第1号として「公務員に対する寒冷地手当支給法(現「国家公務員の寒冷地手当に関する法律」)が成立した。
雪寒地帯の農業基盤整備の促進に向けた動き
豪雪対策としての法律の第1号は生計費に関することだったが、徐々に農業にも向けられていく。水稲単作地帯の東北・北陸地方では積雪もあり気温も低く、農業条件的に劣悪であった。国の施策として食糧を安定的に確保すること、産業の振興があったために、雪国の農業の生産力や経済の向上へと向けられていく。雪寒地帯の農業基盤整備のため、1951年には「積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法」が5年の有効期間付きで制定された。
本格的な豪雪対策として立法化へ
ここからさらに本格的な豪雪対策として進んでいく。1956年には、最重点課題ともされる冬季の道路交通の確保を主目的とした「積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法」が制定される。除雪、防雪、凍雪害防止の3事業が制度化され、本格的な豪雪対策の第一歩として位置付けられた。さらに1960年に襲った異常豪雪をきっかけに恒久的な雪害対策の確立のための立法化の動きが強まり、1961年に「災害対策基本法」が制定される。翌年1962年には「豪雪地帯対策特別措置法」が制定された。
以下の図は「災害対策基本法」全体像の中の「豪雪対策特別措置法」の位置付けになる。
参照: (1) 雪害救済運動の先駆者 松岡俊三の偉業 (2) 松岡俊三と雪害救済運動