日本には「集落」という住民生活のための地域単位が存在する。この「集落」を読み解くために一つの集落事例を知ることで、日本の地方の地域コミュニティのあり方、そして今問題である少子高齢化を読み解くヒントになりうるかもしれない。
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新潟県十日町市松之山にある黒倉集落
黒倉集落は旧松之山町、現十日町市の集落の一つだ。中心市街地から車で40分ほどかかる中山間地にあり、ここでは23世帯(2022年時点)の住民が暮らす。この旧松之山町は2005年4月1日に十日町市、東頸城郡松代町、中魚沼郡川西町・中里村と合併し新設の十日町市となったために消滅した。この旧松之山町の中に黒倉集落がある。

黒倉集落以外にも、松之山には集落があり、それぞれの集落に地域コミュニティが存在する。

市町村の変化
人口の変化や経済の変化から、常に市町村の範囲は変化してきた。黒倉集落が含まれている市町村も例外ではない。1889年まで黒倉村として存在していた黒倉集落も浦田村の一部になり、1955年には松之山町として合併が進み、現在では十日町市へと合併が進んでいった。

黒倉集落の世帯数の変化
黒倉集落の世帯の変化は松之山町史からみることができる。1955年には79戸あった黒倉集落もそこから減少の一途を辿り、現在は23戸までに数が減っている。

集落内での相互扶助機能
黒倉集落で行われている相互扶助機能には以下のようなものがある。
道普請
道普請は地域住民の協働活動の一つで、具体的には道路の側溝掃除や冬に向けたカーブミラー、看板の撤去、草刈り、道路横の木を切るなど道路整備を行う。令和3年度では黒倉集落が合計3回行われた。
除雪チームを結成して除雪サポート
黒倉集落を含む松之山は世界有数の豪雪地帯として知られる。ハイシーズンには4mほどの雪がつもり、この黒倉地域も例外ではない。黒倉集落では2022年現在地域で「黒倉助っ人隊」という除雪チームを作り、当番制で除雪をしている。毎回朝と夕方の2回、市の除雪がくるが、玄関先から道路までの道などの部分に関しては自分達で除雪する必要がある。しかし朝早く出なければいけない勤め人にとっては時間がないこともあり、代わりに地域のメンバーが当番制で決められた通路の除雪を行う。除雪を頼む住民は通路のメートルごとにシーズン料金を払い、集まったお金は当番への人件費に回ったり、新たな除雪道具の購入などに割り当てられる。黒倉集落を含む松之山の積雪状況は下記にまとめた。
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世界有数の豪雪地帯、新潟県十日町市松之山の積雪量・降雪量を写真で振り返る
新潟は全てのエリアが豪雪地帯に指定されている(令和3年時点)が、その中でも十日町の積雪は日本一を争う、いや、世界有数の豪雪地帯ともいえるかもしれない...4mの積雪を超えた新潟県十日町市松之山の2021 - 2022シーズンの積雪量を写真で振り返る。
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補助制度を利用した農地維持
黒倉集落では大半の世帯が農業を営んでおり、集落の大きな関心事の一つとして稲作の後継者を増やすこと、農地維持があげられる。「中山間地域等直接支払制度を活用した地域の取組事例集(令和3年度版)」によれば現状の課題として、農業従事者の65歳以上の割合が57.9%と高く、担い手の確保・育成や若い世代の低移住が必要となるとされている。また、集落内の農用地は急傾斜が多いために維持管理が大変で規模拡大が難しいために、生産性向上に向けた生産基盤の整備、収益性アップを考える必要があるとしている。若い人が農業をする場合も、会社勤めをしながら土日の空いた時間に農業をするという形になるため、時間を費やすことが難しい状況がある。
黒倉集落では農地維持のために、中山間地域等直接支払い交付金集落協定の取り決めを締結している。新潟県のページで中山間地域等直接支払制度を活用した地域の取組事例集(令和3年度版)として黒倉地域の事例をPDFファイルで見ることができる。

黒倉集落の年間スケジュール
「令和3年度黒倉集落事業報告書」より、黒倉集落の年間スケジュールを見てみる。以下は複数住民で関わった行事を抜粋したもの。
月日 | 主な事業及び会議 |
2021/4/1 | 総代事務引き継ぎ |
4/10 | 新役員顔合わせ及び第一回役員会 |
4/19 | 第1回集落総会 |
4/29 | 春の道普請 |
5/29 | 集落内道路 路肩除草剤散布(1回目) |
6/13 | 田休み祭り |
7/3 | 第2回 役員会 |
7/17 | 集落内道路 路肩除草剤散布(2回目) |
7/18 | 第2回集落総会 |
7/21 | 溜池要望箇所視察立ち合い |
8/1 | 夏の道普請 |
8/15 | お盆行事 |
9/5 | 秋祭り |
9/20 | 敬老の日:高齢者家庭に弁当の配達 |
10/9 | 第3回 役員会 |
10/24 | 第4回 集落総会 |
11/7 | 収穫祭 |
11/14 | 秋の道普請 |
2022/1/1 | 新年会 |
1/15 | 小正月行事 |
3/19 | 第4回役員会(決算・監査) |
3/27 | 集落決算総会 |
3/31 | 総代事務引き継ぎ |
黒倉集落内でのお金の流れ
黒倉集落の会計には「一般会計」と「祭り会計」の二つがある。一般会計の収入では以下のような収入源がある。
- 前年度繰越金
- 集落費
- 道普請の出不足金
- 集会所使用料
- 消耗品(コピー機、灯油販売など)
主な収入源は集落の住民による集落費になる。
支出は以下のようなものがある:
- 会費(地区協議会、福祉協議会など)
- 役員手当
- 道普請の飲み物代
- 集会所の電気、水道、ガス、灯油料金
- 集会所の固定資産税
- 行事費用
記録から見る黒倉集落の暮らし
一昔前の黒倉集落の暮らしの記録は1冊の本から読み解くことができる。「お母さん、春はまだ?」(著:小見美春 / 高文研)という黒倉の生活を記した本では、出版された1980年台の暮らしを垣間見ることができる。そこでは古き文化が残り、農業の機械化など、新たな生活様式が入ってきた様子が見てとれる。また、豪雪地帯での暮らしの凄まじさを感じる。
黒倉の中で四季ごとの自然に合わせて、しっかりと仕事が決められる。春には「灰まき」という5月に田植えをするために灰を巻いて雪解けを早くする作業、「道割り」という農道を確保する仕事、山菜採り、「はりっき」と呼ぶ春に木を切る作業などがあった。また、茅葺屋根の葺き替えをすること、田植え作業などがある。秋は稲刈り、はさ上げ、脱穀作業と入り、冬はワラ仕事と続く。この頃には農業のできない冬は東京に出稼ぎに行くという流れも普通だったらしい。黒倉に残る者にとっての冬の重要な仕事はやはり雪ほりだったようだ。学校、農業倉庫、鎮守様など公共施設も共同で雪かきしていたと記されている。雪上車がなかった時代は、子どもたちの学校の登下校のために「道踏み」といって村から村まで人が道をつけていた仕事もあったそうだ。
集落内では行事もたくさんあり、そうしたなかで集落としての団結力も培われていったようだ。収穫祭、小正月、うさぎおいといった行事についての記載がある。冬には地域のスキー大会もあった。この時代には黒倉分校も存在し、学校行事もあった。
こうした昔ながらの生活が紹介される中で、現代的な文化も中山間地域に導入され、著書では便利さに驚くとともに昔の文化がなくなっていく寂しさも表現されている。例えば春の仕事が極端に短縮されたこと。茅葺き屋根はトタン屋根になったために葺き替えがなくなり、囲炉裏は石油ストーブに変化し、田植えも手植えから機械植えに変わって行く。便利になっていく一方で今までやってきたことがなくなって行くさびしさのような感情も著書で表現されている。
黒倉集落のこれから
こうした中山間地での従来の生活の相互保助活動もありつつ、黒倉集落では移住者による新たな取り組みも出てきている。2022年時点では、元地域起こし協力隊が「縄文ノ和黒倉」というグループを立ち上げ、黒倉で収穫したそばを使ってそば祭りを開催したり、大地の芸術祭の作品誘致を行い、移住者の中に日本三大薬湯のひとつに数えられる松之山温泉の源泉である1200万年前の太古の化石海水を使用し、山塩を作る者もいる。
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集落との共創アート:大地の芸術祭「パレス黒倉」が松之山黒倉で公開されるまで
「越後妻有 大地の芸術祭 2022」の新作として登場した作品「パレス黒倉」は集落との共創によって2022年7月30日から無事に公開された。公開までのアート制作の舞台裏を紹介する。
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今後、「集落」という単位でどのように発展が進んでいくのか。人口減少に抗えず集落という単位は消えて行くのか。もしくはこういった少人数グループでの活動があるからこそ回って行く部分があり、こうした活動は後世にも残って行くのか。未来の自治を考えて行くにあたって集落での生活は今後も注目して行くべき部分だ。