日本酒は日本の文化の中心である米作りと共に発展し、今も多くの人に親しまれている。日本酒は今までどのような経緯で現在のように広まり、これからどのように楽しまれていくのだろうか。
日本酒の起源
日本酒の原料は米であるため、日本酒の起源と米作りの起源は密接に結びついている。日本酒の起源は諸説あり、日本酒の原料となる稲作が伝わった弥生時代であるといわれる一方、縄文時代にはすでに米を使った酒が飲まれていたとする説もある。(1)
-
稲作の歴史:稲作からみた日本の成り立ち
米と日本は深い関わりがあり、単に食料としてだけでなく、経済や文化に大きな影響を与えてきた。そんな稲作と日本の関係性について見ていく。
続きを見る
また酒造りの起源をうかがえるものとして、「八塩折之酒(やしおりのさけ)」があり、古事記や日本書紀の中に登場している。(2) 神話の中ででてくるこの八塩折之酒は、スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)を倒すために造らせたお酒だと書かれているが、原料は米ではなく、木の実や果実などを使用したのではないかともいわれている。(2)
世界でのアルコールの起源として、狩猟採集時代にブドウ、ヤシ、蜂蜜などの自然界に存在する糖分の多い素材が発酵されたものに人類が出会い、アルコールを楽しんでいたことを考えると、日本でも生活の中で自然発生した木の実や果実の発酵現象に出会い、普及していったのかもしれない。
-
お酒の歴史 ワイン・ビール・日本酒・カクテルなど...飲み継がれる発酵飲料の起源
ワイン・ビール・日本酒など、今飲まれているお酒は古い歴史を持っており、太古の昔からお酒は飲まれてきた。味を楽しむだけでなく、宗教で神と人を結びつけるための大切な役割を果たしていた。現代でもコミュニケーションの促進としても ...
続きを見る
日本酒発祥当時の酒造り
日本酒発祥当時の酒造りの製法の1つとして「口噛みノ酒」がある。口噛みノ酒とは、神事に携わる巫女がお米を口の中で噛み、唾液に含まれる酵素によって発酵させて作るお酒のことをいう。(1)
発酵についてはこちらに詳しく書いた。
-
発酵とは何か?簡単に分かりやすく解説
世界中で食べられている発酵食品。 日本でも醤油、味噌、みりん、日本酒、漬物など、発酵食品は身近だが、発酵とはそもそもなんなのだろう? ここでは発酵とは何かを解説する。 発酵とは? 発酵とは、微生物の活動によって食べ物が人 ...
続きを見る
奈良時代 (710 - 784)
奈良時代に中国から米麹を使った製法が伝わり、現在のような日本酒の醸造方法が全国的に広まっていったとされている。米こうじを使った酒造りの最初の記載は、奈良時代の『播磨国風土記』(716 年(霊亀2年))にある。(3) 酒や酢を作る役所として「造酒司(さけのつかさ)」ができたのも奈良ー平安時代の頃であるということも『令集解』から分かっている。(3)
-
麹菌とは:日本の和食や発酵文化を支える麹菌の種類や役割について整理する
麹を作るために使われ、湿度の高い東アジアや東南アジアにのみ生息する糸状菌「麹菌」は日本に独特な和食文化をもたらした。
続きを見る
この頃に関してはお酒はまだ特別な飲み物だったようで、飛鳥時代~奈良時代にかけて農民に対しては度々禁酒令が出されており、庶民、特に農民は自由に酒を飲むことが許されなかった。(3)
平安時代 (794 - 1185)
平安時代になると、お酒造りは僧侶の間にも広まっていった。僧侶が大寺院で造るお酒を「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ぶ。平安時代初期までは朝廷の役所である造酒司が中心に行っていた酒造りだが、貴族同士の争いが増え、国が混乱し、次第に造酒司で働いていた技術者たちが流出していったために、大寺院でお酒が作られていくようになった。(3)
平安時代中期の文献である『延喜式(えんぎしき)』(927年)には、米・麹・水で酒を仕込む製法など、朝廷における日本酒の造り方が詳細に記載されている。(4)
鎌倉時代 (1185 - 1333)
鎌倉時代になると民間の間でも日本酒造りは広まり、京都を中心に酒蔵が誕生していく。13世紀にはいると、冠婚葬祭のような特別な行事のある「ハレの日」にしか飲めなかった酒が、「ケの日」と呼ばれる行事のない通常の日にも飲まれるようになっていった。僧坊酒や,町で酒をつくって売る酒屋が出現し,大量に酒が市中に出回るようになったために、日常的に酒が飲まれるようになっていく。(5)
室町時代 (1336 - 1573)
室町時代になると、日本酒の製法はより洗練されていく。僧坊酒の記録から、室町時代には現在の日本酒造りの原型ともいえる段仕込みや火入れ等の技術が開発されたことが伺える。(3)
戦国時代 (1467 - 1615)
戦国時代では地方の酒が作られ、酒がさらに流通していく。
地方の酒が台頭
全国的な群雄割拠は、地方の文化の独自性を高めるきっかけにもなったが、酒も同様に、それまで京から は「田舎酒」とも呼ばれていた地方で醸す酒が台頭し、京都にも進出するようになった。(3)
酒の流通の促進
織田信長による「比叡山延暦寺の焼き討ち」に代表される寺院勢力の弱体化によって、高い人気と評価を誇っていた僧坊酒が衰退していった。信長による自由な商売と流通を促す「楽市楽座」、すなわち関所や通行料の廃止によって、経済活動は活発化し、酒の流通も促進された。 (3)
江戸時代 (1603 - 1868)
江戸時代に入ると、現在の日本酒作りの体制がほぼ確立されていくことになる。
寒作り
江戸時代には多くの酒蔵が、年間を通じて酒を作る四季醸造から、1年で最も寒い12月から2月頃を中心とする冬場に酒を造る「寒造り」にかわっていった。米の凶作を理由に減醸令(酒造制限)や飲酒抑制などの政策が実施されたこともあり、酒造りは冬季に集中し、寒造りの技法が確立された。(5) そして寒造りによって、造り酒屋は冬の農閑期や漁業ができない時期に農村、漁村からの出稼ぎで労働力を確保することが可能になり、杜氏制度の誕生にもつながっていく。 (3)
杜氏制度・杜氏集団の形成
本場で酒造りの技術を磨いた杜氏や蔵人は、地方の造り酒屋から招かれて技術指導を行うようになっていく。次第に酒造法が各地に浸透していき、それぞれの気候風土に合った独自の酒造りの流儀を持つ「杜氏集団」が各地で次のとおり形成されていくようになる。(3)
水へのこだわり
「日本酒には水が大切」という現在の常識も江戸時代に知られるようになり、灘など名水のある地方に良い造り酒屋ができていく。(4)
杜氏日本酒の一大消費地だった江戸に輸送しやすく、寒造りの製法が確立された伊丹(現・兵庫県伊丹市)が日本酒造りの中心だったが、まもなく灘(現・兵庫県神戸市、西宮市あたり)で、仕込み水として最適である鉄分が少ない「宮水」が発見されて以来、灘が日本酒造りの中心地になる。(3)
アルコール添加の始まりも江戸時代
アルコール添加も江戸時代から始まった。江戸時代の衛生面は今より良いとはいえず、菌が悪影響を及ぼして飲めなくなる腐造酒ができてしまうことが多々あった。火落ち菌の一種である腐造乳酸菌はその一つだが、アルコールを添加することで、火落ち菌の増殖を抑えることを突き止めた。(6)
現在の清酒の表示内容は精米して残った米の割合を示す精米歩合と、醸造アルコールを入れたか入れないかで、表示内容が変わる。以下は国税庁ホームページより。
特定名称 | 使用原料 | 精米歩合 |
---|---|---|
吟醸酒(ぎんじょうしゅ) | 米、米こうじ、 醸造アルコール | 60%以下 |
大吟醸酒(だいぎんじょうしゅ) | 米、米こうじ、 醸造アルコール | 50%以下 |
純米酒(じゅんまいしゅ) | 米、米こうじ | - |
純米吟醸酒(じゅんまいぎんじょうしゅ) | 米、米こうじ | 60%以下 |
純米大吟醸酒(じゅんまいだいぎんじょうしゅ) | 米、米こうじ | 50%以下 |
特別純米酒(とくべつじゅんまいしゅ) | 米、米こうじ | 60%以下又は特別な製造方法(要説明表示) |
本醸造酒(ほんじょうぞうしゅ) | 米、米こうじ、 醸造アルコール | 70%以下 |
特別本醸造酒(とくべつほんじょうぞうしゅ) | 米、米こうじ、 醸造アルコール | 60%以下又は特別な製造方法(要説明表示) |
明治・大正 (1868 - 1926)
明治に入ると酒造りに科学的な手法が用いられ、一升瓶も普及していく。
国立の醸造試験所が設立
1904年に明治政府は国立の醸造試験所を設立し、日本酒の醸造法が科学的に解析されるようになっていく(5)。明治時代になっても製造途中でお酒が腐敗してしまうことがしばしばで、国家も酒税が国庫収入の3分の1を占めていたために無視できない事態になっていた。(5)
また当時の日本酒醸造は経験と勘に頼るところが多く、もろみや酒が腐ることも珍しくなかったため、日本酒醸造を科学的に解明し、安定して醸造ができるように醸造試験所が設立されることになる。(3) 1969年以後、日本酒は一切防腐剤を入れなくても腐らなくなり、酒造業は安定化していった。(5)
一升瓶が広がる
今までは桶やかめで量り売りをしていた日本酒だが、水増しなどの不正を防ぎ、かつ衛生面にもいいことから「一升瓶」で販売するようになった。(4) 江井ヶ島酒造株式会社によると、一升瓶酒が普及する前の容器といえば、樽と徳利が主流だったが、無断で有名レッテルの徳利張りをつけてうる偽商品が多かったため、明治32年に江井ヶ嶋酒造は自社で製瓶工場をもち、「日本魂」の一升瓶(1.8リットル)を他にさきがけて売ったとしている。(8)
昭和 (1926 - 1989)
昭和になると戦時中、戦後間も無くの頃は低品質のお酒が出回るものの、経済の発展と共に生産が盛んになり、品質も高まり飲み方もさまざまな方法が登場する。
戦時中の米の割り当て制度と金魚酒
1937年に日中戦争が始まると食糧事情が厳しくなり、酒造原料米の量が制限され、生産される酒の量も年々減っていくようになる。酒の生産量が減るにつれ、水で薄めた「金魚酒」(金魚が泳げるほど薄い酒という意味が込められてる)が出回るようになり、これを取り締まるために政府は、1940年にアルコール濃度による酒の規格を制定し、1940 - 1943年にかけて特・一級等の級別制度を作った。(10) さらに1943年には戦争の激化に伴い、酒も配給制として生産から消費まで政府によって統制された。(10)
3倍密造酒
戦後は酒が足りなくなり、密造酒(非合法に作られたアルコール類)が横行したため、酒不足を補う対策として1949年に三倍増醸酒が開発された。(9) 同じ量の米を使いながらも、添加物によって酒量が三倍になることから三倍増醸酒名付けられるようになる。(12)
戦後の日本酒作りの機械化
1950年頃から1973年頃に、日本酒造りで機械化が進む。冬季に集中して行われていた酒造りが、機械化を果たすことで日本酒造りは通年で行えるようになり、各地で日本酒造りが盛んになっていく。(10)
バブル期の吟醸酒ブーム
1980年代~1990年代前半のバブル期には吟醸酒ブームが起きた。(11) 従来の日本酒のイメージとはかけ離れた、吟醸酒は華やかな香りとフルーティーな味わいが特徴的で、女性やワイン愛好者といった、それまで日本酒にあまり興味を持っていなかった層にも受け入れられるようになる。(11)
冷酒の登場
冷蔵庫が普及し、世界の食卓事情も大きく変わった。冷却室や冷蔵車、冷蔵船を作れるようになったことで、冷蔵による輸送であらゆる種類の食品を遠方に運ぶことを可能にし、昔ながらの牛肉加工処理場は地方の商売から国際的ビジネスに変化した。
-
食の歴史:人類は食とどのように向き合ってきたのか
人間にとって生きるために「食」は不可欠だ。社会や科学、テクノロジーの変化で食はどのように変化したのか。また、食によって人間や社会はどのように変化したのか。歴史から人間と食の関係を考える。
続きを見る
お酒の飲み方も家庭に冷蔵庫が普及していくことで変わっていった。冷蔵庫が普及していなかった時代は、大きく分けて温めて飲む「燗」か、常温で飲む「冷や」という飲み方しかなかったが、冷蔵庫の普及により、日本酒をあらかじめ冷やして飲む、「冷酒」という楽しみ方が新たに生まれる。(12)
平成 (1989 - 2019)
平成の時代になると様々な種類の日本酒が登場し、海外でも日本酒の人気がで始める。
様々な日本酒が登場
平成になると、伝統的な製法を試みる酒蔵が増え、無濾過生原酒や、純米酒、熟成酒、生酛造り、にごり酒といった、昔から受け継がれてきた製法で造られる日本酒が世に送り出されるようになる。(11) 日本酒のラベルを見てみると、従来の精米歩合と醸造アルコールによる「特定名称酒」の記載に追加して様々な製法がラベルに書かれていることが多い。
-
日本酒の種類:「純米酒」「本醸造酒」「吟醸酒」など精米歩合に基づいた種類や製法に基づいた種類について
日本酒は多様な種類があるが、どのように分類されているのだろうか。日本酒の種類と特徴について図解していく。
続きを見る
海外での人気増加
日本酒の海外への輸出金額は2006年から2017年の間でおよそ3倍にも伸びている。(11) 和食が2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されたことがきっかけで、日本酒も認知度が上がるようになった。(11)
(1) 日本酒の歴史・起源、日本人と日本酒とは? (2) 日本酒の起源はいつ?日本酒文化の歴史を紐解いてみよう (3) 国税庁 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術について 抜粋版ファイル「日本酒の歴史」 (4) 日本酒っていつから飲まれているの? 一升瓶で売られているのはなぜ? 日本酒のおもしろい歴史の話 (5) 勝田 (2019) (6) アルコール添加が日本酒に与えたもの。 (7) 日本酒の「三段仕込み」とは?仕込みによる味わいの変化を知ろう (8) 江井ヶ嶋酒造の歴史 (9) 第7巻 日本酒の歴史(後) (10) アメリカでも大ブーム!日本酒とは?その歴史と発展について (11) 歴史その6~平成時代 (12) 造り手の都合で造り続けられた三倍増醸酒と元・醸造試験所長の懺悔─ 熟成古酒の失われた100年<17> アイキャッチ画像: Photo by Leio McLaren on Unsplash
参照: 勝田英紀 (2019), 日本酒の起源についての一考察, 商経学叢 = Shokei-gakuso: Journal of Business Studies 65 (3), 71-92, 2019-03-23